「心と医学と宇宙の果てと」 by kuu
心はどこにある?と聞かれて、人は何故胸を指すのだろう。そこにはただ、拍動し続ける心臓と、スポンジのような肺と、若干のリンパ節と血管、肋骨。 すべての臓器は他者のためにある、ということを我々は意識しない。心臓は血液の循環を生業とし、肺は酸素の取り込みを飽くことなく続けている。胃は食物を受けとっては送り出す、若干の消化液を振り混ぜながら。 もっともワガママなのは、脳だ。どの臓器よりも多くの酸素を消費し、多くのぶどう糖を要求する。もちろん、他のあらゆる臓器に絶え間なく電気信号を送る労苦は賞賛に値するだろう。一部のごく基本的な指令は脊髄に任せきりではあるのだけれど。 脳は注意深くあたりを監視し、自分に危害が及ばないよう、ずるがしこいルールを決めている。たとえば、血圧が下がれば、手足の血管は献身的に収縮し他の内臓に血液を送るようになっている。だが脳は最後まで自分のペースを崩さない。身体の緊急事態にも、冷静に自分が助かる道を模索する。 心はたぶん、脳の神経細胞が作り出すバーチャルな空間だ。まるでホログラムのように浮かび上がる、原色の虚像。だからどこにでもあって、どこにもない。その気になれば指先にだって心はある。人が意識さえすれば。 西洋医学が肉体にまで踏み込み始めたのは、たかだかこの数世紀のことだ。それまでの医学とはもっと呪術めいた、哲学的存在だった。医師たちはいかに患者に触れないように診断するかを荘厳に競い、外科的なアプローチをあざ笑った。病気とは臓器自体の異常であるとの考えが広まったのは、解剖学が発達した後のこと。 現在の医学では心の存在を証明できない。大脳生理学はまだその入り口に立ったばかりだ。人類が宇宙の果てに立つのが先か、心を可視化するのが先か。おそらくそのくらい難しい。 昨今の医療従事者たちはやや技術を過信しているきらいがある。これはとりもなおさず人体・疾病があまりに未知であることと裏腹だ。スペースシャトルが幾多の深い哀しみを抱えて飛ぶように、医学もまた同じ哀しみを抱えて未知なる身体へと向かう。 わからないこととわかること。宇宙も人体も、実は同じ深みにあるのだ。 from kuu's interclinic; healthy merci(2) No.14 written by kuu
by seagullk
| 2005-01-22 08:42
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